私の離婚体験記(その4)
新しい生活、新しい父親
親が求める「理想の家庭」
例の「おじさん」との生活が始まりました。かなり不安もありましたね。そう簡単に新しい生活には慣れることはできません。その辺のことは母もおじさんもある程度わかっていたのでしょう。子どもに大きな刺激を与えないように配慮する姿勢も多少あったように思います。ただ、それも最初の頃だけで、次第に二人は自分たちが考える「理想の家庭」の形に子どもをあてはめようとしてきました。まず最初に母に言われたのが次の二点。
「これからはおじさんのことを”お父さん”と呼びなさい」
「この家に来たからには二度と前のお父さんの話をしないように」ということ。

”お父さん”の一言が言えない
私にはそれが嫌で嫌でたまりませんでした。なぜ、父親とも思っていない人を「お父さん」と呼ばなければいけないのか、なぜ、嫌いになったわけでもない実のお父さんの話をしてはいけないのか。強制されると余計に言いづらくなってきました。
私の妹二人(3歳、8歳)は、時間とともに、少しずつ「お父さん」と呼べるようになりましたが、私だけはどうしてもその一言が言えません。「個」としての形がある程度できあがっていたせいもあるのか、心の中の葛藤がどうしてもそれを許せないのです。
強烈なショックと恐怖感
一人頑なに「お父さん」という一言を拒否し続ける私に「おじさん」がイライラしているのは子どもながらにもよくわかりました。そんなある日、私はまだ明るいのに電気をつけてトイレに入ってしまったのですが、私がトイレから出てくるなり「おじさん」に(かなり強烈に)殴られました。「電気を点ける必要がどこにあるんだ!」と凄い形相で私を睨みつけられました。私はそれまでの人生で、そんな強烈な”しつけ”を受けたことがなかったので、強烈なショックと恐怖感を味わいました。
それからというもの、私はおじさんの前では一切自分の感情を出さなくなり、一日の中でおじさんの前で話すのは「おはようございます」「いただきます」「ご馳走様でした」「お先にお風呂いただきました」「おやすみなさい」という5つの挨拶だけでした。恐怖心が先立って話ができないのです。
家族の中で孤立
心を開かない私は次第に家族の中で孤立するようになりました。食事をしても、私が一番に食べ終えすぐに席を立ちます。皆が一緒にテレビを見ているときでも、私は別の部屋で一人時間を潰していましたね。そんな私を快く思わないおじさんは、次第に私に対する怒り・憎しみなどの感情をあからさまに出してくるようになりました。
例えば、私の家では子どもは必ず9時に寝なければいけないルールがあったのですが、私はどうしても9時から始まるアニメ映画を見たいと思ったときの話です。当時の私の家にも一応ビデオはあったものの、私が勝手に使うことなど許されない代物だったので、そのアニメを見るためには「おじさんの許可」を得なる必要がありました。 そう、信じられないかもしれませんが、私はテレビ番組一つの予約をするにも許可が必要だったのです。私は勇気を振り絞って「録画して欲しい」とお願いしました。するとおじさんは言いました。
「お前にビデオを使う資格はない」
私はそれ以降、二度とテレビもビデオも見ようとは思わなくなりました。実際、私は新たな生活をはじめてから約3年間はまったくと言っていいほどテレビは見ていません。
自己主張の自由
私は今になってやっと「なぜ自己主張をしなくなったか」の理由がわかりました。私はDV被害者と同じような状況に置かれていたんですね。皆さんはDV被害者が「自己主張の自由」を得る前提として何が必要であるかご存知でしょうか。
まず第一に必要なのが、生活面・精神面等広い意味での「安心」、そして第二に“I am OK”という「自信」。この安心と自信の二つが揃ってはじめて「自由な自己主張」が可能になるのです。
「非行」と「健全」の分岐点にあるもの
当時の私には安心も自信も自己主張の自由もありませんでした。ですから、家での生活は本当に苦痛そのものでしたね。ただ、幸いなことに私にたった一つ「救い」がありました。これもDVの場合と同じなのですが、身体的・精神的・性的暴力を受けた子ども達には、非行に走るか健全に成長するかの分岐点があると言われています。その分岐点に「あるもの」があれば人は健全に成長し、逆に無いと非行に走る・・・それは一体何だと思われますか?それはね・・・
「真剣に話を聞いてくれる人」の存在です。
親族でも友達でも学校の先生でも、自分の素直な気持ちをぶつけることができ、それを受け止めてくれる人なら誰でもいいのです。私にはそんな気持ちを打ち明けられる友人がいました。私は家にいるのが苦痛だった半面、学校に行くのは嬉しくて仕方ありませんでした。だから私は非行に走らずに済んだのかもしれませんね。
みんな「心の病」を抱えている
不登校の子どもと正反対ですが、同じ「心の病」を抱えている点では同じです。離婚に悩む皆さんもそうですよね。理由は違えど、自分だけの力では解決できない「心の病」を抱えている点では同じ。だからこそ、私は離婚の手続きを「単なる事務的な手続き」で終わらせず、その裏側で「心の病」に苦しむ方々を癒してあげたいと思うのです。オブラートで包み込むようにね。